井戸端会議の意味
“相手に受け入れられている”という感覚
【井戸端会議】 井戸端などで、
近所の女たちが水くみや洗濯などをしながら、
人のうわさや世間話をすることをからかっていった語。
転じて、主婦たちが家事の合間に集まって
するおしゃべり。 ~大辞林より~
皆さん、こんにちは。ところで、皆さんは日本の伝統的な
会議をご存知でしょうか。そう、井戸端会議です。
最近は井戸自体が減ってしまったため、
会議の場は公園に取って代わられて
しまいましたが、古くは水汲み場である井戸の周りに
集まって世間話に花を咲かせていたそうです。
しかし、時代は移り変わっても世間話に花を咲かせる人の心に
変わりはありません。しかし、どうして話のネタも尽きず
長時間話をしていられるのでしょうか。
そこで今回は井戸端会議が続く理由を交流分析の
視点から考えてみたいと思います。
まずは、二つの主婦のやり取りをみてみましょう。
スズキ:「あら、ヤマダの奥さん、おはようございます。今日はどちらまで?」
ヤマダ:「あ、スズキの奥さん!おはようございます。先日はどうも。
今日はこれからちょっとお買い物に。最近は主人の給料が
少なくなって本当に生活のやりくりが大変ですわ」
スズキ:「あら!おたくもそうなの!?
実はうちの主人も給料カットで、夏のボーナスも減額になるらしいわ…。
ホント困ったものよねぇ。」
ヤマダ:「本当ですわねぇ…。あ!そういえば奥さん、聞きました??」
スズキ:「あら、何かしら?」
…
タナカ:「あら、サトウの奥さん、おはようございます。今日はどちらまで?」
サトウ:「どこに行くかは私の勝手でしょう?そんなプライベートなことにまで口を挟まないで頂けます?」
タナカ:「えっ!?(挨拶しただけなのに…)」
少し極端な例ですが、皆さんはどちらの会話のほうが続くと思いますか?
もちろん最初の例のほうですね。おそらくヤマダさんとスズキさんは
このあと近所の噂 話をあれこれ続け、
結局スーパーに到着する頃にはお目当ての商品が売り切れてしまっているかもしれません。
一方タナカさんは単に挨拶をしただけなのに、逆 ギレされてしまいました。
これでは会話は続きませんよね。スーパーの商品は
売れ切れないかもしれませんが、近々二人の関係は切れてしまうかもしれません。
では、この二例の違いを図で考えてみましょう。
スズキさんとヤマダさんのようになかなか途切れない会話を図示すると、
会話の矢印が平行になっています。このように矢印が平行になっているとき、
私たちは“自分の伝えたいことが相手に届き、そして自分が望む返答を得た”
という感じがします。いわゆる“会話のキャッチボール”が成立している状態ですね。
それに対し、タナカさんとサトウさんのように途切れてしまう会話は
矢印が交差しています。このように矢印が交差しているとき、
私たちは“自分が望むものとは違ったものが返ってきた”と感じ、
非常に面喰ってしまいます。なんだか会話が噛み合わない、
そんなときは矢印が交差している可能性が高くなります。
このように、誰かとコミュニケーションを継続させるためには、
矢印を平行に保つことが大切となってきます。矢印が平行なやり取りを
「相補交流」と言いますが、相補交流が行われていると
私たちは“相手に受け入れられている”という感覚を持ちやすくなります。
もし皆さんの周りに今以上関係をよくしたいと思う人物がおりましたら、
会話の矢印を平行に保つ、ということを心掛けてみてはいかがでしょうか。
それでは、また次回。
執筆:松本敦 【講座:全5回で学べる‼交流分析講座】
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